大掃除すらやったと言い切れない片付け・掃除下手だった私の話
おはようございます。
突然ですが、以前の私の部屋は泥棒が入っても分からない部屋といわれていました。
そこからなぜ掃除好きになったのかと言うと、部屋自体をインテリアだと捉えたというのが一番大きな理由だと思います。今日はそう思えるようになるまでのお話です。
- なりたい自分
- 断捨離
- 物を捨てるのに大量のエネルギーが必要だった
- 自分が変われないので部屋に変わってもらう
- 結婚・妊娠・出産
- インテリアってなんだろう
- 掃除を楽しめるようになって掃除が好きになった
- おわりに
なりたい自分
私には「なりたい自分」がありました。
イライラしたりすぐ文句を言ったりせずに、いつもニコニコ楽しそうにしている自分になりたかったのです。
今になって分かったことですが、私は視界に入る物が多いとそれだけで疲れてしまいます。物が多い部屋にいるだけで疲れるのでちょっとしたことでイライラしていました。片付いていない部屋に住んでいたので、何かを取ろうとすると別の物が邪魔だったり、ぶつかって落としてしまったり。それだけでイラッとしては「ああ、こんなことでイライラするなんて嫌だ」と思っていました。
断捨離
初めて断捨離したときは20代半ばの頃でしたが、憧れの人になりたい!という強い気持ちがありました。
「憧れの人」とは、誰かから憧れられる人という意味ではなく自分の理想とする人物を指している言葉です。具体的には、イライラしたり文句を言ったりせずにニコニコ楽しそうにしている人のことです。
いつもニコニコ楽しそうな人は、余裕があるように見えてとても素敵だと思っていました。自分がイライラしやすいだけに、そういう人にとても憧れました。
余裕がある人になればきっとこんな些細なことでイライラしたりしないだろうし、豊かな生活を送れそう。
そうだ、余裕だ。私に足りないのは余裕かもしれない!と思ったときに
こんなにごちゃごちゃした部屋で「余裕のある人になりたい」だなんてちゃんちゃらおかしい!!!
と、思いました。
物を捨てるのに大量のエネルギーが必要だった
手をつけてみると、要・不要を判断するのは物凄いエネルギーを必要としました。主に「まだ使えるけどもういらない」と思うものを捨てるときに「もったいない」という気持ちが湧いて、それが躊躇いになりました。その気持ちを抑えて捨てるのは想像以上に疲れました。
こんな思いをするなら片付かない部屋でもいいという考えもよぎりましたがここで諦めたら何も変わらないと思い、とにかく進めました。
自分が変われないので部屋に変わってもらう
それまで部屋にあった大量の不用品がなくなったことで収納用品自体が減りました。
例えばベッド下に入れていたプラスチックの収納がなくなったので、ベッド下の掃除はワイパーをスッと入れられます。ワンアクションで掃除できるのはとても快適でした。
それまで、掃除ができないのはやる気が足りないからだと考えていましたが、自分が掃除できるレベルに部屋を変えるという発想が功を奏しました。
やる気で掃除が出来るようになれば何も悩まない!そのやる気が出てこないから困ってるんだ!!とイライラしていたのがアホらしくなるくらい掃除って簡単でした。
物が少なくなるとそれまで見えていなかったものが見えるようになりました。
汚れている窓、電気のカサにたまったホコリ、指紋だらけのドアノブ。
物が減ったことによって1つのものに配れる気の量が増え、その結果汚れに気付けるようになったのだと思います。
物が多い=豊かだと思っていましたが、汚れに気付く余裕さえも失って右往左往していた私には当てはまりませんでした。
結婚・妊娠・出産
結婚して初めて家族以外の人との生活が始まりました。広い家というわけではありませんが、2人で暮らすには充分な広さがあったのでお互いの持ち物を見返すことなく持ち込みました。将来子ども部屋になる部屋をそれぞれの個室として使用。共有物以外は個室へ置かれました。
子どもが生まれてから家事全般がうまくこなせませんでした。なかなか片付けや掃除にまで手が回らず、人が来る時だけキレイになっていればOK!今は子どもに手がかかるから仕方ないと思っていました。
劇的な変化が起こったのは、2人目を妊娠したあとでした。
これから子どもが2人になって、そう遠くない未来に子ども部屋が必要になると、急に焦りが出てきました。今は個室扱いにできているから置けている荷物をどこへ移動しようと夫と相談した結果、持っていても使わないものは手放そう!となり、今ある収納に入りきらないものは処分を目標に断捨離をしました。
インテリアってなんだろう
断捨離後、広くなった部屋にぽつんと1つだけ置かれた家具。
これを見て、インテリアってなんだろう?と思いました。
私は、室内を飾る家具や調度品のことをインテリアと認識していますが、この部屋を見てから、部屋そのものがインテリアという考えもアリなのではないかと思うようになりました。言葉にすると変ですが、いわゆるミニマリズムの考えだと思います。過剰なまでに装飾して表現するデコラティブの対極にある表現法がミニマリズムだと思っています。
ほぼ何もない部屋で何を表現するのかと言われると上手く言葉にできないのですが、この部屋は何もなくても美しいと感じたのです。(※美しいと書くと大げさなのですが、清潔の意のキレイと区別するためにここではそう書かせていただきます。)
そして何もないからこそ部屋自体をキレイにしなければ台無しだと思ったのです。
足し算の美学よりも引き算の美学が私には合っていました。
引ききったら後はそれをキレイに維持するだけ。何も難しいことはありませんでした。
はたいて、掃いて、拭く。これだけで大抵の汚れは落とせます。
掃除を楽しめるようになって掃除が好きになった
自分の掃除スキルと部屋のバランスが取れるようになってから、掃除が楽しくなりました。
掃除を楽しめるようになってから、キレイにできないから楽しくないし、楽しくないから好きになれなかったんだということに気付きました。成果がでなければ取り掛かることは難しく、ましてや継続するのは無理に近いと思いました。
おわりに
片付け・掃除が好きになる日が来るとは、人生分からないものだなと本人が一番驚いています。
片付けも掃除も自分と向き合う必要が出てくる大変な作業です。簡単ではありませんでしたが、快適にに暮らせるようになったので頑張って良かったなと思っています。
この話がなにかしらのお役にたてれば幸いです。