「一手間かける」意味はそれが贅沢だから
先日トースターを手放そうと思ったときに気付いたことがありました。
そのときの話はこちら。
ひと手間かかる不便を選ぶ
このトースターはお手入れがめんどうです。
そのマイナス面を差し引いても使いたいと思う魅力があるので大切に使っていますが、これって贅沢なことだなぁと思いました。
パンを焼くだけであればこのトースターにこだわる必要はありません。
グリルで焼けばトースターを持つ必要すらありません。
トースターを持たなければお手入れ不要で収納場所も不要で、時間も場所も有効に使えます。
それを分かっていながらも、私は不便な方を選びました。
不便を選んでも豊かな生活
一番初めに断捨離したときの強い思いに「余裕がある人になって豊かな生活を送りたい」というのがありました。(その話はこちら→大掃除すらやったと言い切れない片付け・掃除下手だった私の話 )
私の中での豊かな暮らしは少しだけ丁寧に暮らすことです。
例えば
- 一輪の花をお気に入りの花瓶に生けてみる
- お気に入りのものをメンテナンスしながら長く使う
- 直筆の手紙で気持ちを伝える
これらが私の中の豊かな暮らしのイメージです。
やらなくても生きていけるけど、やると少しだけ心が潤うようなことをしながら暮らしたい
言葉にするとこんなところでしょうか。
選べる自由とその余裕の贅沢さ
時間に追われてお手入れする余裕がなければ、今回のような判断はしなかったと思います。
今は時間にほんの少し余裕があるので、その分を大事なもののお手入れに使って長く付き合っていく。そう選べたことも、それだけの心の余裕があったことも嬉しかったです。
そしてその選択はとても贅沢なものだなと思いました。
あの時に断捨離した私はこんな贅沢が欲しかったんだなと気付いた、そんな一件でした。
今更宣伝
はてなグループで掃除のグループを作りました!(ずいぶん前のことなのですが、どうやって宣伝するのかやっと分かりました)
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